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豊橋のお城 吉田城

吉田城の歴史は、戦国時代今川氏の被官、牧野古白によりその前身の「今橋城」として明応9年(1500)あるいは
永正2年(1505)に築城されたことに始まる。東三河の要衝であった「今橋城」は戦国武将の攻防の中、「吉田城」
と改められた。永禄8年(1565)徳川家康は「吉田城」を攻略し、酒井忠次を城代とした。天正18年(1590)家
康の三河から関東への移封により池田輝政が入城、城地の整備拡張を進めたが、10年後の慶長5年(1600)関ヶ
原合戦の後播磨国姫路に移封となった。江戸時代には東海道の要衝として牧野信成、戸田氏、大河内松平氏など9家
22代の譜代大名が在城したが、財政的要因のため輝政整備後の状態を維持する形で明治に至った。明治18年(1
885)吉田城址は歩兵第18連隊の屯営となり、昭和20年の戦争終結まで陸軍省用地として、一般人は入る事は出
来なかった。昭和24年(1949)「豊橋公園」として一般公開された。その後昭和29年(1954)豊橋産業文化大
博覧会の時に「吉田城」北西の鉄櫓が鉄筋コンクリート造りで再建された。吉田城を知るうえで必要な資料として
「吉田城絵図」がある。60数点が確認されているが、その中で注目される記述で、鉄筋コンクリートで再建された
鉄櫓(くろがねやぐら)が「天守」だとする記述が数点あるとか、又「今橋城」の完成は永正2年(1505)が定説
となっているが、「絵図」の記述の中に、”明応5年(1496)今川氏親の命により同9年(1500)牧野古白により
完成を見た」との記述があるとかで、定説との違いも示されている。
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吉田城本丸の北西位置の隅櫓 鉄櫓(くろがねやぐら)は「天守」だとの記述もある
この本丸広場の中央辺りに本丸御殿が有った
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この鉄櫓の下の石垣の北面(左)と西面(右)は池田輝政時代の石垣と言われている
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石垣に刻印された文字、図柄など現在までに50以上見つかっている
案内板中央の絵は「吉田城絵図」の一部で、本丸と二の丸が鳥瞰図法で描かれたもの
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⑧番位置の刻印
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Pentax DA35F2.4AL / Pentax KP

by doi_masanori | 2017-07-19 00:01 | 豊橋公園